自分の持っているプライドが邪魔をして、物事や人間関係が上手くいかない・・・
はたまた無駄にプライドが高い人がいるが、それを周りの人間に押し付けてくるので面倒くさい・・・そんな経験ありませんか?
今回はそんな無駄なプライドは捨てるべきだというお話をしたいと思います。
- プライドがあることは良い事だが、振りかざすと逆効果
- 無駄に虚勢を張るくらいなら捨ててしまった方が良い
- プライドひとつで自分がしんどくなる
- 自分の中だけのけじめとして置いておけば良い
- 周りの人に押し付けても理解はされない
私もかつてはプライドが高く(今でもややその気はありますが)、そのプライドのせいで自分自身を傷つけたり周りの人たちに迷惑をかけたという経験があります。
今思えばなぜそこまで意地を張っていたのか理解不能ですが、年齢と経験を重ねるごとにプライドというものとの付き合い方みたいなものを習得できてきたような気がします。
今現在そんな私と同じようにプライドによってストレスを溜めたり、人とのコミュニケーションに亀裂が入ってモヤモヤしているという方に向けて、ちょっと気持ちが楽になる切り替え方を書いていこうと思います。
プライドとは
そもそもプライドとは何なのかを説明すると、プライドとは一般的に『自尊心』や『誇り』のことで、嚙み砕いて言うと自分のことをリスペクトするというものです。
プライドにも色々あって仕事に対するプライド、自分に対するプライド、ものづくりに対するプライドなど様々です。
よく陶芸の職人さんが傍目には「素晴らしい!!」と思えるような見事な壺を焼いたにも関わらず、自分の中で納得できない出来だと「えぇい!!こんなものはゴミじゃあー!!」と言いながら叩き割るみたいな。
このどうしても自分の納得がいかないがために叩き割ってしまう、これがプライドです。笑
自分の中で完璧だと思える物でないと、職人さんは何度でも叩き割るでしょう。
プライドを持つとそんな人にはわからないこだわりを持つのも特徴ですね。
基本的にプライドがある人は責任感も強い傾向にあります。
なので仕事をお願いするにしてもきっちりこなしてくれるので、周りからの信頼度も高い方も多いはず。
「頼んでいた仕事まだ?」なんて言われない、言わさない。ひとつのことをきちっとこなすこだわり・・・いわゆる自分との約束事のようなものでもあるのです。
プライドが高すぎると人生の弊害になる
プライドを持つことはとても良いことだとは思うのですが、この本人よがりの自尊心を周りの人間に押し付けようとしてくる人がたまにいます。
彼らは自分の持っているプライド=魂の叫びみたいなものを抑えきれず、どうしても頑固になってしまったり「自分はこうだ!!」と人と協調しなかったり。
そうするとどうしてもそのプライドを周囲に押し付けようとしてしまうので、面倒くさい奴というレッテルを貼られて結果的に孤立してしまいがちになります。
プライドが高すぎる人の特徴としては以下の通りです。
- 素直じゃない
- 虚勢を張る
- 人に自分の考えを押し付ける
- 折れることを知らない
- 負けたくない
- 自分の考えが絶対だと思っている
- 馬鹿にされることをとにかく嫌う
- 謝らない人が多い
- メンタル激弱
これだけ見ていたら単なる自己中にしか見えませんね。笑
でも実際にこういう人がほとんどです。
この性格と言うかプライドと言うか本当に面倒くさい価値観なんですよね。
私もこんな無意味なプライドのおかげで、ずいぶんと損したこともあるし無駄にケンカしたりもした経験があります。
謝りたいのですがプライドが高すぎる人の思考は「ここで謝ったら負けだ」と、意味不明な勝ち負けの感情が湧き上がってくるので、「ごめん」と言えば終わりなのにその言葉を出すことに抵抗を感じてしまい、酷い場合には謝るどころか逆にどんどん火に油を注ぎだすと言いますか。
もはや収集が付かなくなってしまい、ある意味大炎上です。
なので“面倒臭いやつ”とレッテルを貼られてしまうこともしばしば。
そんな面倒臭いやつの側になんか居たくないと思われることも多いので、結果孤立志がちになってしまいます。
これって人生の弊害以外の何者でもありません。
このようにプライドが高すぎると自分の価値までも下げてしまい、結果的に色んな意味で損してしまうのです。
ただ言い返せないような論破をされててしまうと、メンタルは激弱なので落ち込み方も半端ないですが、倍返ししてやるくらいの勢いで立ち直ったりもします。
プライドは自分の中だけでいい。無駄なプライドは捨ててしまおう
プライドと言うものは自分の中の決意や約束事として、自分自身の中だけにしっかりと置いておけばいいと私は思っています。
しかし周りに悪影響を及ぼしてしまうような協調性に著しく欠けているプライドは持つだけ無駄です。
虚勢を張ってプライドの高い自分を周囲に見せつけて、弱い自分を出せないなんて自分が苦しむことだけですし、いつまで経っても人の話を聞こうとはしないので成長もありません。
プライドは持っていていいと思います。
良い仕事ができたと納得できればそれはそれで良いし、なんだか不完全燃焼だと思えばやり直せばいいのです。
自分の中だけで起承転結すればいいのです。
その時に誰かに何か言われても気にしないことです。
それに泣きたい時は泣けばいいし、落ち込みたい時は落ち込めばいいし、疲れたときは休めば良い、そんな風に人間らしく生きてみてはどうでしょうか。
人は絶対に一人では生きていけない生き物です。
プライドを振りかざして孤立してしまい周りから人が居なくなってしまうと、これまで無理をかけて守り続けてきたプライドそのものが無意味ではないでしょうか。
もしそうやって周りの人間を嫌な気持ちにさせているプライドを持っている方は、心の中にそっとしまってしまうか、本当にそのこだわりは必要なのかを見極めて不要であれば捨ててしまいましょう。
プライドは決して振りかざすものではありません。
自分の中の誇りとして持っていればいいのです。
プライドを捨てると楽になれる
プライドを捨てるととても楽になれます。
なぜなら自分を縛り付けているものがなくなるからです。
プライドのせいで人とぶつかったり、異常なほど悔しい思いをしたり落ち込んだりした経験はありませんか?
結局は自分で作り上げたプライドが自分自身を傷つけてしまうことがあるのです。
だったらプライドなんて捨ててしまってはどうでしょう。
楽になれますよ、とっても。
何せ今まで強がる必要があったのに、それをしなくて済むわけです。
間違えても恥ずかしくありません、失敗しても恥ずかしくなんかもありません。
謝ることでさえ自然にできるようになります。
私はかつて非を認めて謝ることが大の苦手でした。
冒頭に書いたように謝ったら負けだと思っていたし、自分のちっぽけなプライドに傷を付けたくなかったからです。
でも心では本当は謝っていたんですよね。
その「ごめん」をどうしても口に出して言えなかったのです。
明らかに自分が悪いと分かっていたのに、傷つけただけで謝ることができませんでした。
それでもそんな私を見捨てずに一緒に居てくれたあの時の仲間には本当に感謝しています。
そんなプライドを捨ててからと言うと、驚くほど気持ちが楽になりました。
この人泣くのか??と思われていた目の釣り上がった私はもういなくて、今では悲しい時や悔しい時は誰かの前で素直に泣けるようになりました。
寂しくても寂しいと言えなかった頃は辛かったです。
言わないから誰にも理解されないですしね。
私はプライドを捨てることができて良かったなと思っています。
それだけ無駄なプライドをたくさん作り上げていたと言うことですね。
この記事を読んで、「あ、自分も目が釣り上がっているな」と思っている方はぜひその縛りから解放すべく、まずは「折れる」ということから始めてみて下さい。
最初はちょっと恥ずかしかったりするかもしれませんが、何一つ恥ずかしいことなんてありません。
自分自身が楽になるように、まず1歩踏み出してみて下さいね。
さいごに
今回はプライドとの付き合い方を間違えると自分自身を縛り付けたり傷つけたりしてしまうということと、必要のないプライドは捨ててしまうと楽になれるというお話しをしてきました。
今なお不要なプライドによって自分自身を苦しめている方は、せっかくの一度きりの人生です、笑顔で過ごせるように少し自分を縛り付けている紐を緩めてあげてください。
プライドとはその人本人だけにしか通用しません。
他人に迷惑をかけてしまうような無駄なプライドはさっさと捨ててしまいましょう。
しつこいようですが、周りに押し付けてしまうと「勝手に一人でやっとけよ」としか思われません。
置いておきたいプライドは自分の中だけにそっとしまっておいてくださいね。