悪縁を断ち切って良縁を結ぼう!安井金比羅宮【京都府】

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今回は悪縁切り良縁結びで有名な、京都にある安井金比羅宮のお話をしたいと思います。

 

皆さんは、安井金比羅宮と聞くと何を思い浮かべますか?

やはり”悪縁切り”とか、”呪い”などのキーワードでしょうか(笑)

確かに悪縁切りは有名ですね。

お札がたくさん貼られた石をくぐるとか、結構怖いですよね。

 

でもそんな怖いイメージのある安井金比羅宮ですが、実はある一人の天皇の

悲しい話が潜んでいるのです。

 

なぜ呪いの神社と言われるのか、なぜ縁切り縁結びの神社なのか。

そんなエピソードも少し知っていただければと思います。

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安井金比羅宮とは

安井金比羅宮は、清水寺から程近い京都市東山区にある神社で、

元禄8年(1695年)に後白河法皇によって建てられました。

御祭神は崇徳天皇、大物主神、源頼政です。

悪縁切り、良縁結びの神社として有名で、中でも縁切り縁結び碑(いし)が有名ですね。

 

さて、ここで登場する御祭神の「崇徳天皇」について少しお話したいと思います。

歴代の天皇の中でも、一番悲運だったのではないかと言われる崇徳天皇は、

生い立ちから苦労されたそうです。

出典:ウィキペディア

 

崇徳天皇と言えば、日本三大怨霊の一人として知られていますね。

でも、本当はそんな怖いお方じゃないんですよ~。

 

まず、崇徳天皇のお父さんは鳥羽天皇、お母さんは藤原璋子さん・・・

なのですが。

なんとなんと、実際は鳥羽上皇のお父さんである白河法皇と、鳥羽上皇の奥さんである

藤原璋子さんとの間の子なのです。

おじいちゃんとお母さんの子供・・・この時点で「は?」ですよね。

 

それでも鳥羽天皇に自身の子として大切に育てられた崇徳天皇ですが、

たった4歳で天皇に即位します。

その後、11歳で藤原聖子さんと結婚しましたが子供は出来ず、21歳の時に

妻ではない侍女の兵衛佐局さんが天皇の子供、「重仁親王」を生みました。

が、聖子さんあまりよく思っていなかったようです。そりゃそうだ。

それでも、夫婦仲は常に円満だったと言うことです。

 

ところで上皇になったお父さんの鳥羽天皇ですが、この頃から藤原得子さんという

侍女をえらく寵愛し、あっさり崇徳天皇に上皇の座を譲位してしまいます。

しかし、上皇と言えどあんまり実権はなかったみたいです。

 

譲位されてからは「崇徳院」と呼ばれるようになったのですが、

大好きな和歌の世界にどっぷりハマっていきます。

その後、保元の乱など色んなゴチャゴチャがあって、すったもんだの末、

最終的に讃岐国(現在の香川県)に島流しにされます。

 

讃岐国での崇徳天皇は、今度は仏教に没頭し、極楽往生を願ってお経の書かれた本「写本」を

たくさん作ることになります。

五部大乗経と呼ばれる、『法華経』・『華厳経』・『涅槃経』・『大集経』・『大品般若経』を

一生懸命作り、戦死者の供養と自分の反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に

収めてほしいと朝廷に送ってみたのですが、後白河院は

「呪いがかかってるんちゃうかぁ~!気持ち悪い!!」

と、せっかく送った写本を送り返されてしまいました。

 

ここでついに崇徳くん激ギレ。

 

そんなに呪われたいなら呪ってやるわと、せっかく作った写本に自分の舌を噛み切ったその血で

「呪ったる~」的なことを書き込み、またこれを機に、髪も爪も伸ばし放題になります。

崩御する時にはもはや夜叉のような様相になっていたそうな。

その後、1164年に46歳でこの世を去った崇徳天皇。

京の都の後白河法皇は知らんふりを決め込んでいたのですが、

立て続けに人がバタバタ亡くなっていく。

それはもう尋常じゃないくらい亡くなっていったそうです。

 

ここで「もしや崇徳天皇の怨念なのではないか?」と思われるようになり、

1868年、約700年も後に明治天皇によって、ようやく京へ戻してもらえたそうです。

長かったですね。お帰りなさい崇徳天皇(涙)

崇徳天皇の怨念を収めるために建てられたひとつ、それが「安井金比羅宮」なのです。

 

しかし怨念イメージの強い崇徳天皇ですが、島流しにされていた四国では

四国全体の守り神として、かなり人気のある神様だったようです。

今でも地の守り神としてお祀りされているそうです。

なぜ縁切りと縁結び??

散々、怨念だの何だの書いてきましたが、じゃあなんで縁切り縁結びなの?

疑問になりますよね。

 

この安井金比羅宮の御祭神・崇徳天皇は、保元の乱の時に全ての欲を断ち切って

讃岐の金刀比羅宮に引きこもりました。

このことから、悪縁や欲(タバコやお酒・・・あと浮気ですね)を断ち切ってくれると

信じられてきたのが、今にも伝えられているのでしょう。

 

また、戦の時に愛しくてやまない寵女(誰・・・)と泣く泣くお別れしたのです。

夫婦円満とはいえ、なんだか自由な時代ですね。笑

 

そんな自分たちのように、大好きな人と別れて辛い思いをして欲しくない!!という

崇徳天皇の優しさが、縁結びに繋がったと言われています。

 

そんな縁切り縁結びをしてくれる「縁切り縁結び碑」。

形代に絶ちたい縁、結びたい縁を書き込んだら、それを持って手前からくぐってお願いをします。

手前からくぐる時は縁切り、向こうから戻ってくる時は縁結びです。

 

絶大なパワースポットだけに、効果も期待できそうですね!

さっそく縁切りと縁結び

まずこちらの安井金比羅宮ですが、清水寺から近い場所にあり、

八坂神社に向かう道中にあります。

が、しかしそこまで目立つ神社ではないので、見つけた時は、

「あ、ここ?」みたいな感じになります。

 

ちなみに鳥居の脇にある細道、本当にココ入って大丈夫?と思うくらいの車道があるのですが、

そこをええいと曲がると安井金比羅宮の駐車場があります。

鳥居は越えてしまうのですが、京都の町で駐車場があるのは助かりますね。

ちなみに30分200円です。

そこからすでに参道になるので、本殿へむかって歩いていきます。

すると、左手に手水舎・・・よりも、不気味なほどお札が貼られた

あの「縁切り縁結び碑」がドドンと目に入ってきます。

目に入って気にはなりますが、ちゃんと手水舎でお清めしてくださいね。

石の前には日によっては長蛇の列が出来ていたりするのですが、この日は結構少なかったです。

でもやっぱり女性が多め。

 

まずは本殿にて、崇徳天皇にご挨拶です。

ただお寺なのか神社なのかよく分からない不思議な空気感があるので、

手を叩いていいのやら駄目なのやら・・・

何度か来たことがあるのですが、未だによくわかりません。

 

お参りが終わったら、石の周りにある屋根の下に置かれたこちら。

「形代」と呼ばれるこの紙に、切りたい縁、結びたい縁を書きます。

書き方は自由で、特に住所や名前も要らないとのことです。

 

書き終わったら、それを持っていよいよ石をくぐります。

手前からくぐる時には、切りたい悪縁を心に念じ、

向こうから戻る時には結びたい縁を念じながらくぐります。

くぐり終わったら、石の向こう側に糊が置いてあるので、

それを使って石にお札を貼ってください。

 

このくぐり抜ける穴ですが・・・めちゃくちゃ狭いです。

大柄な方はちょっとムリかもですが、安心してください。

絶対に通らないといけないわけではないので、どうしても通ることができない方は、

心に念じながらお札を石に貼ってくださいね。

 

見ちゃいけないとは思いつつ、以前お札を数枚見たことがあるのですが、

うーーーーん、結構怖いこと書いてるお札、確かにありますね。

病気との縁切りも結構多いですが、圧倒的に浮気ネタ多し・・・

縁を切ってもらう所なので、相手の不幸を願うことを書くのもどうかと・・・

気持ちは分かりますけどね・・・うん、複雑。

まとめ

と言うわけで、これにて安井金比羅宮の参拝は終わりです。

今回は初めてご朱印を書いていただきました。

またこれからの季節、9月には「櫛まつり」と言って、愛用していた櫛やかんざしに

感謝の気持ちをこめて供養していただくお祭りが開催されたり、10月には安井金比羅宮で

もっとも重要なお祭り、「秋季金比羅大祭」が開催されます。

 

秋の京都は紅葉がとても見事です。

冬には嵐山のほうでも竹林のライトアップなど楽しめます。

安井金比羅宮も秋はまた違った雰囲気がありますので、ぜひ行ってみて下さいね♪

安井金比羅宮

〒605-0823 京都府松原東山区 上ル下弁天町70 東大路通

 075-561-5127

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