今年も異常なくらいの猛暑が続いた夏が終わり、ようやく過ごしやすい時期に入りましたね。
秋の始まりが感じられる先日、9月12日の19:38に我が家の猫様が天国へと旅立ちました。
アメリカンショートヘアのメスで21年と5ヶ月、本当に長生きしてくれたご長寿猫です。
ブログにあげるかどうかと色々考えましたが、猫様との思い出や感謝の気持ち、そして同じように愛するペットが亡くなって今でも立ち直れなくて苦しむ方の心が少しでも軽くなればと思い書くことにしました。
なにせ猫様への思いが強すぎて超大作レベルの内容量でほぼ自己満の記事になってしまったので、そこだけはご了承いただければと思います。
猫様との出逢い
猫様との出逢いは21年前の1999年、春の北海道でした。
大阪生まれだった私は当時、仕事の関係で北海道に住み始めたところで初めての親元を離れた一人暮らし。
初めての生活の中でちょっと寂しさを感じていた私は、学生時代に読んでいた「What’sマイケル」という漫画があり、その漫画の中での猫との生活に憧れを抱き、いつか一人暮らしを始めたら猫を飼いたいと常々思っていたことを思い出したのです。
で、ある日思い立ってペットショップへ足を運びました。
大手のペットショップをウロウロと見て回っていたのですが、あれだけたくさんの猫がいたにも拘らず「この子がいい!!」という一匹がどうしても見つからず。
北海道に引っ越してすぐだったため土地勘もなく、ほかにペットショップはないのかな?と今のようにスマホでササッと簡単に調べられる時代ではなかったため近くにあった公衆電話ボックスに設置されていたタウンワークをペラペラとめくっていると、あるペットショップを見つけることができました。
さっそく車を走らせてそのペットショップへ向かうと、そのお店はブリーダーさんがやっていた小さなお店。
外から見てもペットショップだと気付きにくい外観で、知らなかったらうっかり通り過ぎてしまいそうなほどでした。
車を停めて中に入ると小さな店内にはゲージがいっぱい置かれていて、その中にいろんな種類の犬や猫がいたという記憶です。
最初からアメショが欲しいと思っていたわけではなかったのですが、たまたま2週間前に生まれた子猫がいますよということで見せてもらったのが4匹の子猫の兄弟でした。
私は初めて見たアメショに一目ぼれし、4匹の中から選ぶことにしたのですが並べて抱えられていた一番右側にいた子が兄弟の中で一番きれいな顔をしていたので「この子にします」と即決。
血統書の名前は「チーズ」。
ほかの兄弟にも「ココア」とか「ジャム」とか食べ物の名前がついていました。
こうして私と猫様との21年にもおよぶ生活が始まったのです。
いつも当たり前のように一緒にいた
猫様の誕生日は4月12日。
雪の残る北海道ではまだ先ではありましたが、桜の季節に生まれた女の子でした。
生後2週間だったのでトイレの場所とか仕方とか教えないといけないのかなと思っていましたが、猫様のお母さんが短い間に教えてくれていたようで初めて我が家に来た日からちゃんとトイレでできる子でホッとしたのを覚えています。
猫様はとにかく食べることが生きがいのような子だったので、小さい頃から亡くなる数日前までとにかくご飯が大好きでした。
悪さもたくさんするいたずらっ子で、賃貸なのに壁紙なんて見る影もなくボロボロにされ途方に暮れたこともしばしば。
最後はもう諦めましたけど。笑
冬の北海道は室内でもツララができるほど寒く、仕事が少し遅くなって急いで帰ってみるとちゃっかりベッドの布団に丸まって入っていました。
北海道生まれだからか分かりませんが、意外と寒さに強い子でした。
夏場に家に帰ると暗い部屋で自分の足元をジッと見つめたまま振り返ろうともしない猫様がいて、一体何をしているんだろうと覗いてみるとまさかのアマガエルが一匹。
なんで家の中にいるのぉぉぉーーー!!!と発狂したことも今では良い思い出です。
その後、仕事の都合で再び大阪に戻ることになり猫様は1歳を待たずして初の飛行機を経験することとなります。
空港で預ける時は本当に大丈夫なんだろうかととても心配でしたが、伊丹空港で受け取った時の猫様は案外ケロッとした感じで拍子抜けさせられました。
このパワフルメンタルのおかげでのちに何度も繰り返した引っ越しでも全く動じることもなく、どんなに環境が変わってもすぐに順応してくれたので助かりました。
すっかり年月が過ぎ20代、30代と当たり前のように一緒にいた猫様でしたが、今振り返るとホントにいつも私の生活の中にいた大きな存在でした。
遊び狂った若い頃、失敗して落ち込んだ時も失恋して泣きまくった時も何か良いことがあって大喜びしていた時も、雨の日も風の日もいつだって隣にいてくれました。
ホント私は色々不器用で鈍臭いので「この飼い主ほんまアホやなぁ」と呆れていたこともあったかもしれませんね。笑
猫様はそんな鈍臭い飼い主との21年をどんな気持ちで過ごしてきたんだろう。
そんなことを居なくなってからふと考える日々です。
当たり前にいた存在がいなくなるって想像以上につらいものです。
今年も一緒にコタツで丸くなれると思っていたんですけどね。
一緒に闘い抜いた最後の2か月
猫様が13歳を過ぎた頃からでしょうか、そろそろご飯をシニア用のものにしてあげないとなぁと考えご飯を柔らかいモノに変えました。
というのも、私の母が昔同じように猫を飼っていたのですが、老衰で13歳で他界したということもあって猫の寿命を意識するようになったのです。
そのわりに全くシニア感のない猫様でしたが。
よく食べてよく走ってよく怒られてよく寝る。わんぱくなままのシニア猫です。
いつまで経っても病気一つせず毛ヅヤも良いままで元気なので、どちらかというとこの子が本当に居なくなってしまうんだろうか?という疑問の方が大きかったです。
2歳で発情期による夜鳴きと粗相が酷くなったため、仕方なく去勢してからあれ以来一度も病院に行くことがなかった猫様に異変が起きたのが、忘れもしない7月の七夕の日でした。
詳しい経緯は過去記事に書いていますので、よかったら読んでみてくださいね。


初めての痙攣から徐々に弱り始めた猫様でしたが、最初のうちは大病を患いながらも「なんか気付いたら23歳になりましたとか言ってそう」と冗談が言えるほど食欲旺盛でグーグーといびきをかいて寝るといういつもと変わらない様子でした。
病院からもらった薬もにおいがすると食べなくなってしまうので、においが出ないように一粒一粒オブラートに包んでわからないように工夫していると、食いしん坊の猫様はあっさり気付くことなくペロリ。
無理やり飲ますようなことはしたくなかったので、あの食いしん坊な性格には心底救われました。
病院からはもう手の施しようがないことと余命1週間を言い渡されていたものの、それでも猫様は懸命に生きようとしていました。
私も痙攣さえ起きなければきっとまだまだ長生きするものだと思っていました。
でも老いというものは容赦がないもので、8月に入ってから再び痙攣が起きその後もう一度8月半ばに痙攣が起きてからは一気に容態が悪くなっていきました。
これが亡くなる約2週間前のことです。
ある時から右前脚をかばうように歩くようになり、気付けばお腹がパンパンになっていました。
どうやら心筋症と腎不全が原因で起こる胸水と腹水の影響のようです。
普通だったらここで飼い主がすぐさま病院に連れていくのでしょうが、私はその選択をしませんでした。
なぜなら猫様はとにかく人と動物が大嫌い。
初めての痙攣の時に病院に連れて行ってから1ヶ月ほどは、あんな酷いことをするところに連れて行かれたということをかなり根に持ち、しばらくは私のことをかなり蔑んだ目で見て近付いて来ないどころか触るだけで威嚇される有様に。泣
今までデレデレだった猫様なだけにこの急激なツンは飼い主へ相当なダメージを与えたことは紛れもない事実です。
まぁもちろんこれが一番の理由ではなく、先ほども述べたように病院に行っても痛い注射をして薬を出されることしか出来ないことが分かっていたので、それならばもうストレスのかかることはせず自然に任せようと決めたのです。
でもこの選択はかなりの自問自答を繰り返すこととなりました。
「本当にこれでよかったのか?」
「もし病院に連れて行ったとしたらお腹の水を抜いて脚の痛みもらくになるかもしれない・・・」
「連れて行かないのは飼い主のエゴなんだろうか?」
何が正解で猫様にとって何が一番なのか、本当に頭を抱えました。
それでも少しでも体の痛みを軽減させることができればと思い、病院に電話して獣医さんに現状を話したところ効果があるか分からないけれど・・・ということで、腎臓への負担の少ない鎮痛作用のある薬を処方していただきました。
身の回りの世話はできるけど体の中のことはどうしてやることもできない私が出した精一杯の選択でした。
残念ながら薬の効果が出る前に引きずっていた右前脚だけから後ろ足にも影響が出始め、最後の1週間は這うことしか出来ない状態になってしまい、水ですら自力で飲みに行けない状態になってしまったので24時間の完全介護生活になりました。
こんな状況だったので仕事は休みを取り猫様の介護に専念しました。
最初は何をしてほしいのか分からなかったのですが、時折首を上げて水が欲しい時は水入れをジーッと見つめている、トイレに行きたいときはトイレをジーッと見つめていることに気付くことができたのである程度の猫様の希望通りには動くことができたかなと思います。
腎臓病特有の喉の渇きが半端ないらしく、夜中でも少なくとも2時間おきにガサガサと動こうとするので私もその物音で目を覚まし水を与えたりトイレの補助をしたり。
たった数センチの座布団の高さでも歩けない猫様にとってはツラく、動いた弾みで滑り落ちて床に頭をぶつけてしまうこともあるため、それを防ぐことに必死な私の思いが夜中でもカサッという小さな物音ひとつでもすぐに起きれるようになっていたんだと思います。
日に日に弱っていく猫様は亡くなる3日ほど前になるといよいよご飯もひと舐めふた舐めで食べなくなってしまいました。
亡くなる前日には喉が渇いて飲みたいはずの水もほとんど飲めず、最後の日は全く口にしなくなりました。
亡くなる日の朝、土曜日ではありましたが相方氏が休みで看ていてあげると言ってくれたので久しぶりに仕事へ行くことに。
とはいえこの状況なのでお昼で切り上げて午後はお休みを取って飛んで帰りました。
帰宅したのが14時半頃で猫様は朝と変わらず寝たままの状態でしたが、どことなく朝出ていく時より弱っていたのは目に見えて分かったので、もしかすると今日が山なのかもと覚悟をしました。
ずっと隣でつきっきりで体を撫でてやることしかできないもどかしさでいっぱいでしたが、相方氏が猫様と同じようにご飯を食べようとしない私を気遣ってほか弁でお弁当を買ってきてくれたので、「きっとこの子もご飯食べたいんだろうなぁ」とやや引け目を感じながら食事を済ませた直後に一気に事態が急変。
猫様の呼吸が時折止まり「ハッ」というようになりました。
その後も呼吸が止まってまたし始めてを繰り返しているうちにその感覚が短くなり、ついには全く息をしなくなってしまいました。
私は猫様の脇に手を入れて鼓動を手で感じながら「ありがとうね、また会おうね」と涙を流しながら声をかけ続けていましたが、小さな鼓動はゆっくりとその動きを止めてしまいました。
痙攣が起きてから2ヶ月間、猫様と私の最後の闘いがここで終わりを告げました。
痛かっただろうしツラかっただろうし、それでも本当によく頑張ってくれました。
とても良くしてくれた告別式【アニマルセレモニー 愛犬舎(加古川)】
翌日、猫様を荼毘に付すためにお葬式をあげることにしました。
少し前から万が一の時のために調べていたのですが、だいたいが出張火葬というサービスが出てくる中で一件だけ連れて行くことができる施設を見つけることができました。
その施設は兵庫県加古川市にある『アニマルセレモニー 愛犬舎』という施設なのですが、HPを読んてみるときちんとしたお葬式から火葬までとても行き届いたサービスを提供してくれているとのことで、最期くらいちゃんと見送ってあげたい気持ちが強かったのでこちらに決めました。
お別れの朝、すっかり冷たくなって硬くなってしまった猫様をタオルに包んで相方氏に車に乗せてもらった猫様。
大好きだった我が家にお別れをして斎場へ向かいました。
こういう時って不思議なことが起こるものですね。
いつもはガラガラで空いている道なのに、変なところで詰まっていたりいつもは引っかかることがない感知式の信号で車がいないのに何度も引っかかる。
しかも国道に出てから斎場近くまで前を走っていた車のナンバーが『・412』、猫様の誕生日だったり。
挙句に斎場の手前で道を間違えて遠回りをしてしまったりと、まるで猫様が私との別れを惜しんでいるかのような出来事でした。
斎場に着くと外までスタッフの方が出迎えてくれ、受付をする時に猫様をスタッフの方に預けました。
一通りの受付を済ませて奥へ行くと人間のお葬式と同じくらいの大きな祭壇ときれいな白い布をかぶせてもらって横たわる猫様がいました。
その姿を見て本当に最後なんだという思いが込み上げ、そこから涙がエンドレスだったことは言うまでもありません。
宗派の関係でお経こそありませんが、お線香にお焼香など丁寧に誘導してくれて最後に棺に入れるお花と出棺用の花束まで用意してくれているという心遣いにとても感動しました。
最期のお別れをしてついに火葬炉へ入っていく猫様。
猫様の名前を呼びながらお別れをしました。
お骨上げまでに1時間ほどかかるとのことで親族の待合室に通されたのですが、ここでもお茶やお菓子などまで用意されており、もう驚くほど至れり尽くせりでした。
待ち時間の1時間はあっという間でお骨上げに案内されて火葬場へ行くと、何かの標本かと思うくらいきれいに骨が残っていた猫様。
頭蓋骨からしっぽの先まで欠けることなくしっかりと見事に残っていたので、斎場のスタッフの方もとても驚かれていました。
何よりも20歳を超えた子が来たのは初めてだとおっしゃっていたので、「やったね!猫様一番乗りや」というちょっと誇らしげな気持ちになりました。
お骨は全て拾い上げ桜の季節に生まれたのでピンクの桜模様の骨壺カバーを選びました。
家に戻り父の遺影を置いているスペースに猫様も仲間入りしたのでギッチギチ。
リビングの一角に1.5畳ほどのスペースがあり、そこに猫様のトイレや爪とぎやご飯置き場などを設置していてまるで猫様の部屋のようになっていたので、部屋を片付けたらそこにまた移動させようと思います。
大切な猫様とのお別れがこんなに立派なものにできたことには本当に感謝しかありません。
もしもの時は『アニマルセレモニー 愛犬舎』をぜひおすすめしたいと思います。
自責の念とあるお坊さんのお話
猫様が病床に臥せってから私はこれまでの猫様に対する自責の念に駆られて涙を流し続けていました。
悔やんでも悔やんでも悔やみ切れない気持ちに押しつぶされそうになりながら、毎日猫様に問いかけていました。
「私のもとに来て幸せだった?」
「寂しい思いをたくさんさせてしまってごめんね?」
「なんでもっと大事にしてあげられなかったのだろう」
込み上げてくる自責と後悔の気持ちが止まらなくて頭がおかしくなりそうでした。
そんな時にたまたまネットで見かけたのがあるお坊さんのお話でした。
そのお坊さんの名前は横田晴正さん。
この方のインタビューの記事にたまたま出会ったのですが、この記事のおかげで相当心が救われました。
この記事のタイトルは『縁があるから出会うのです』。
横田住職の話によると自分のもとにやってくるペットたちは幸せになるべく飼い主を選んでやってくる。そしてその結末まで知ってやってくるのだと。
たとえ飼い主の過失であっても老衰であっても、その別れ方はペット自身が選んだ別れ方であって飼い主に良いことが起こるようにと身をていしてくれているのだそうです。
また私は最期の時にそばにいてやれるのだろうか?という懸念を抱えていたのですが、この横田住職の『ペットたちは命の最期を感じたら、どう亡くなれば飼い主たちにとって一番良いのかを考えて、亡くなるタイミングを見計らっている』という話を読んで、「お願いだからひとりぼっちで旅立たないで」と強く願いこだわっていた私の気持ちをずいぶんと軽くしてくれました。
今回、猫様は私と相方氏が一緒にいる時に亡くなることを選んでくれた。
最期の瞬間にそばにいてほしいと思ってもらえたことはとてもうれしかったです。
自責の念についても『自責の念は愛があるから』とお話しされています。
確かにそうですよね、愛していなかったら申し訳ないなどと思ったり感じたりしないですよね。
「あ、私ちゃんと猫様のこと愛せていたんだな」と実感できた瞬間でした。
そして最後に亡くなったペットたちは姿が無くなって見えなくなってしまっても、いつも飼い主の心とともに人生を歩んでいるということです。
でもやっぱり触れ合いたいから新しい命として生まれ変わってくるのだそうです。
今はまだ「生まれ変わってきても猫様じゃないと嫌だ!」というワガママな気持ちがありますが、違う形であれまたいつか出会えることができたらいいなと思います。
私が今回とても助けられた記事はこちらから読めます。

さいごに
いつも隣にいてくれた存在が居なくなるのは本当につらい経験です。
なにせ21年です。自分の亡くなった父親より一緒の時間を共にしてきたパートナーだったので思い出もたくさんあります。
だけど猫様は私に自分の死をゆっくりと覚悟して受け入れさせるかのように、ある日突然ではなく2ヶ月という短くも長い考える時間を与えてくれました。
その与えてくれた時間のおかげで亡くなった時もずいぶん冷静に見送ることができたなぁと感謝しています。
また猫様は2年前にケンカ別れして音信不通になっていた弟との縁もつなげてくれました。
猫様の訃報を返事があるかどうかも分からない弟にメールで知らせたところブロックされておらず、「ちゃんと大往生したな」と返信してくれたのです。
そこであの時のことを謝り、今度、娘と一緒に弟の家に遊びに行くことになりました。
最後の最後まで猫様に助けられてしまいました。情けない飼い主ですね。
猫様が居なくなった今、本当の一人暮らしは初めての経験になり寂しさも残るばかりですが、悪いことばかりでもありません。
今まで1泊でしか行けなかった旅行も2泊、3泊とできるようになりました。
早く帰らないと猫様がお腹空かせてる!!と急いで帰らず寄り道できるようになりました。
イタズラされるので諦めていたドライフラワーを飾れるようになりました。笑(怒られそう)
今度、猫様の遺骨を使ったメモリアルリングを作ろうと思っています。
娘も同じものを付けていつかお嫁に行ってくれるそうです。
これで猫様も私と一緒に旅行に行ったり美しい景色を見ることができるようになりますね。
どんなデザインにするか楽しみです。
メモリアルリングについてはこちら
虹の橋はご存じですか?
暖かい春の気候のような場所で、病気もケガも治ったペットたちが元気に駆け回っている幸せな場所です。
でもその虹の橋のお話には続きがあって、『雨降り地区』という場所があるそうです。
その雨降り地区にいるのは飼い主がいつまで経っても自分が居なくなったことで泣き続けているというペットたちなのだそうです。
ということは、私が毎日シクシクと泣いていたら猫様はいつまで経っても虹の橋には行けないということです。
猫様のためにもいい加減、涙を流すのはやめないといけませんね。
これから猫様は私の心の中で生き続けてくれます。
猫様にたくさん与えてもらった幸せな21年間とその思い出を胸に、いつかまた再会できる日を楽しみに頑張って生きていきたいと思います。
長い記事になりましたが最後まで読んでくださりありがとうございました。
コメント